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読書系フリーターのある日

どうでもいいことを吐き出してく雑記サブブログ。女性アイドルが好き。

若くない命は守らなくていいの?

雑記

若い命を守ろうー

子どもや若者が何か悲惨な事件に巻き込まれたり、非業の死を遂げたとき、非道な犯罪に巻き込まれたときなんかにしつこく繰り返されてきたフレーズだ。

 

私はこの言葉に、この考え方にずっと違和感を持っている。

大人はいいの?大人の方が圧倒的に多くて、その守らなければいけない若い命に対して強い影響力を持っているのに?

20歳を過ぎたら、全部自己責任だから?

20歳を過ぎたら、「保護を必要とする子ども」は「自己責任で自立できなかったダメ人間」になるの?

 

子供には、意外と手厚い保護があるのだ。法で守ってもらえる。

学校はカウンセリングルームを置いていたり、児童相談所なんかもある。金銭的な援助も私的なものから公的なものまでいろいろある。立場が弱いことを配慮して護ってくれるものが案外あるのだ。

正しく使われているか、使う機会が広く提供されているかは別として。

何より救おうとする手がたくさん差し伸べられる機会が多い。

 

なんだか、おかしくないか。

基本的に、子供を犯罪に巻き込むのは子供より大人が多い。

子供を追い詰めるのは、子供より大人が多い。

その大人たちは、今現在不幸な人生を送ってきたり、送っていたり、不幸な大人に育てられて性格に支障をきたしたり、とにかく何かしらの生きることへのしんどさを抱えていることが多い。

ケアがまず必要なのは、そっちじゃないの。

 

いろんなものにがんじがらめになってしまった人たち。

自分で自分を救えないから、他人を代理にしんどさをぶつけてしまう人たち。

 

そういえば、大学時代教職を取っていたときに、意味のわからないことを言っている教員がけっこういた。

その論旨は、「学校が家庭で困難を抱えている子供の居場所になってやらなければ」「学校が子供を救うこともできる」っていうの。

一理あるけど、何を言ってるんだ。たとえ子供だけ学校でまともにしてそのまんまの家に送り返したら一緒じゃないか。

そのわずかな成功例はあるんだろうけど、自分が生まれてからずっと一緒にいる親と教師とどっちの方がその子供に対して影響力が強いと思うのだろう。

問題というか、向き合ってやって手厚く保護すべきはその両親だ。両親がその困難から解放されなければ、子どもに対する当たりはそのまんま。

子供じゃない、大人だ。

その、自分の子供がねじまがるくらいに追い詰める脅迫的な思考に捕われた人たち。

 

「子どもには無限の可能性がある」って考え方も嫌い。ポジティブに捉えられすぎているから。

確かに総理大臣になる可能性もあれば一流のスポーツ選手になるかもしれないし、優れた医者になるかもしれなければ、自分の人生を次に繋げるような、優れた人間になるかもしれない。他人を幸福にするような人間に。

 

そして、殺人鬼になるかもしれないし、薬物中毒になるかもしれないし、テロリストになるかもしれない。

 無限の可能性ってそういうことだ。

 

つまるところ、この国は子供が優遇されすぎで、大人が蔑ろにされすぎていると思うのだ。

 大人を優遇することが、結果として子どもを救うことになるという観点が抜けているというような。

 

(私は毒親に育てられているから、救われなさっていうのを過剰視しているのかもしれないけれど)

「一緒にいて楽しい人が好みのタイプです」 がヤバすぎる

雑記

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最近、彼氏をつくろうと出会いの母数を増やしにかかっているので、「どんな人と付き合いたいの?」という質問をする機会が畢竟増えた。

 

その質問に対する、特に男性に多い答えはこれである。

「一緒にいて楽しい人。」(女性は「優しい人」とかも多い)

 

楽しい人!!!!楽しい人!!!!???楽しいって何????

 

あまりにも、あまりにも漠然としすぎである。そんなふわっふわな付き合いたい人物像できみ、大丈夫なの?そう問いたくなる(実際言うけど)。

 

その楽しいっていうのは、どの楽しさのことを言っているのだろう。

私が思いつく「一緒にいて楽しい」というのは、せいぜい6パターンくらい。

 

1、ひたすらノリの、テンポのよい会話などが楽しめる

2、知的な会話などができ、楽しい

3、しゃべらなくても気まずくない、気を使わない自分でいられる

4、趣味などを共有できる、話が合う

5、一緒にいて自分が(お互い)成長できる感じがある

6、イチャイチャできる、甘えてくれる

 

それでも6パターンもあり、そして実際にはもっともっとあるはずであり、「楽しい」というのが個人個人の感覚なのだから、非常にそれは漠然とした概念なのである。

同様に優しい人っていうのも、それはよく気がつく人のことなのか、愛をもって厳しく叱ったりしてくれる優しさなのか、甘やかしてくれる人ってことなのか、一途な人ってことなのか、一体どれのつもりで言っているんだ。

 

ちなみに、どれを指しているのかで「一緒にいて楽しい」人物像がかなり変わってくる。

1、ノリの良い明るい人

、頭の良い知的な人

、波長の合う穏やかな人

4、趣味に対する方向性と労力やお金のかけ方が同レベルの人

、向上心をもって仕事や勉強をしている人

6、恋人としかできないそういうことに対する価値観が同レベルの人

とかね。相反するものも相反しないものもある。

 

このなかのいくつか、もしくは全部を兼ね備えた人、という漠然とした考えで「一緒にいて楽しい人」と言っている可能性もある。恋愛初期はなんとなく楽しい、でいいかもしれないけれど、長期的に付き合うなら齟齬が生じてくる可能性がないだろうか。

知的な会話を楽しめるから付き合ったけど、イチャイチャしてくれなくてしんどい、みたいな。

 

だから、この中の全部が自分にとって同じくらい大事、なんてことはないはずだ。

必ずこれはなくてはいけない、これはあれば嬉しい、くらいの優先順位くらいは自分の中であるはずであり、必須条件を自分の中で明らかにしていないと選ぶものも選べないし、「こんなはずじゃなかった」が起こりやすくはならないか。

 

いままで付き合った人とあまり長続きしてこなかったある程度の年齢の人がこんなこと言ってると、「もうちょっと自分自身の価値観と幸せについて一度よく考えてみたら?」って言いたくなるよ。

死の「誘惑」の解釈 について― ミュージカル「エリザベート」より

雑記

死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ

 太宰のみならず、死への誘惑を感じたことのない人間はほとんどいないと思う。

思春期は特に、これに憑りつかれやすいようなことを言っていたのは北杜夫だったか。

 

ドイツ語のミュージカルにハマっていた時期があった。ハマっていたというか、のめりこんでいた。ドイツ語も猛烈に勉強した。

きっかけは大学の一般教養で履修していた「舞台芸術論」とかだったと記憶している。

 

ほとんど日本語に翻訳されていないし、Youtube以外で見る方法がわからないのでひたすらに「Elisabeth エリザベートを観た。

キャストを変えて10年以上繰り返し公演されているが、ウィーンかどこかで爆発ヒットしたのをきっかけにそれだけが日本語訳されているから。(宝塚でも人気)

残念ながら、現在ではほとんど消されてしまっている。

ミュージカルの面白さとは

もちろん人それぞれの部分だと思うけれど、私は「監督・演者によって同じ内容でも全く違ったものになる」というところだと思う。

映画もそういえばそうなんだけど、編集が入らないとか臨場感とか舞台という場所とスクリーンの違いとか、それはそれでけっこう違う。

一時期2chかまとめサイトかで話題になったけれど、藤原竜也主演の「天保十二年のシェイクスピア」をぜひ観てほしい。

Uwakimono Tatsuya Fujiwara - YouTube

この曲、解釈が藤原竜也と他の演者で全然違う。

他の役者のは下ネタ寄りの曲なのであんまりダイレクトに表現しない感じのが出てくるが、藤原竜也は下ネタ方向に完全に吹っ切っている時点で圧巻である。それでいて嫌な感じがしないからすごい。

 

エリザベートも同様に、「死の誘惑」というテーマについての解釈の違いから、同じ曲・同じ筋の芝居でも全く違うものに仕上がっていて面白い。

エリザベート」について

「シシィ」の愛称で知られる、オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリーザベトの生涯を描いたミュージカルだ。

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奔放な美女、シシィが皇后として嫁ぎ、水の合わない宮廷生活、嫁姑問題、頼りにならない夫、息子・ルドルフの自殺(マイヤーリンク事件)、夫の浮気から罹った性病などなどのスキャンダルに追われた波乱万丈の生涯を描いている。

 

主人公はもちろんエリザベート。次に重要な人物として2大主役と言っていいくらい出てくるもう一つが、トート(=The death 死)だ。

物語の最後は、エリザベートが暗殺され、ついに「死」と結ばれる場面で大団円だ。

ヒロインがエリザベートなら、ヒーローはトートだろう。

要するに死の擬人化された存在であって、エリザベートと常に共にあり、人生の局面で誘惑してくる存在。

 

トート役の2大俳優は、ウーヴェ・クレーガーマテ・カマラスだろう。

死の「誘惑」の解釈の違い

ウーヴェ・クレーガー編

Die letzte tanz(=The last dance)という曲がある。

エリザベートが姑に押さえつけられていた生活に決別して自我に目覚め、反抗し始める場面である。(多分)

www.youtube.com

おそらく嫁いだあとの婚姻のシーンの後で、ほの暗い諦めや不安などから「死」と邂逅する場面だった気がする。

0:45辺りから曲が始まるが、これがウーヴェ・クレーガーのトート。無機質で中性的、無表情で冷たい感じ。まさに死の擬人化だ。

影のように常に生と隣り合わせに存在して、顔を出す存在。

余談だが、日本語にするなら自分のことを「私」と絶対言うと思う。

彼の「誘惑」の解釈は素直に、彼女が「死にたい」と心の奥底で思ったとき自分のものになれとささやいてくる存在である。

エリザベートのみならず、常に人と共にある死の、死への願望を忠実に体現していると言える。非常に死のイメージを明確に演じている。

 

マテ・カマラス編

 動画がほぼ消されてしまっていて全然ない。

Elisabeth - Die Schatten werden länger (ERSTER AKT) - YouTube

 ほんっとに画像汚いし曲も有名どころではないので、あんまり正直観ても面白くないので観なくていいが、雰囲気は伝わると思う。

 

マテ・カマラスのトートは、非常に男性的だ。

「誘惑」の解釈は異性に対する性的な誘惑のニュアンスを多く孕んでいる。

なんというか、表情も豊かで非常にウーヴェとはまた違った「身近にいる感じの」死なのだ。

なんならライバルとして皇帝とエリザベートを取り合うぐらいの感じであって、どちらかというと男性の死神が性的な誘惑で、エリザベートを自分のものにしようとしている感じだ。

そうなるとエリザベートの方も、皇帝と結婚した自分を守りながらも「死」に惹かれ、ついには死のものになり、結ばれるという風にニュアンスが変わってくる。

最後のシーンで「やっと結ばれた感」が出ていて感動的なのはマテ版である。

自分のことは「俺」と言っていそうなトートである。

 

 ちなみに宝塚版ではマテ・カマラスの方の「誘惑」を採用している。そっちの方が女性ファンに喜ばれるからだろう。

まとめ

 トート(死)は誘惑者という役割だけでなく、孤独を慰めてくれる存在、絶望を優しく包み込んでくれる存在、闇と共に傍にいてくれる友達、見捨てる存在、永遠の愛をくれる存在、などこんなに死が生き生きと描かれている作品はあまりない。

良い悪いではなく、人間はと常に共にある存在だということだろう。

 

全体的に楽曲が非常に深く、観た後は感無量という感じ。

役者で解釈が全然違う。そうすると、劇全体の役回りが変わり、全く違ったものが出来上がる。新たな試みによって更新されていくこと、それを見るのが舞台芸術の面白さの一つなんだろう。

 

(書きながら思い出したが、「誰も寝てはならぬ」で有名なオペラ・「トゥーランドット」は明か清かその辺の中国の王朝が舞台だったと思うが、舞台を近代に、登場人物を機械人間にして上演したものがあったと記憶している。評価は最悪だったそうだが、けっこう面白かった。発想が。)

京都と私の大学時代の恋愛の話

雑記

京都が大好きだ。

大学4年間過ごした京都は東西南北四方に本当に思い出がいっぱい詰まっていて、就職も関西でしたのは、一つに京都にすぐ行ける距離にいたかったからだった。

 

結局のところ、微妙に遠いということもあって、数えるくらいしか行っていない。

今だに大学のゼミの友人たちとは年1回くらい京都で集まっているけれど、今年の3月で大学院に残っていたヤツらが就職して京都から出てしまったから今後も定期的に集まれるかどうかはわからない。

というか、そもそも関西にほとんど人が残っていない。

 

まあ、なんで京都かというと、ここ最近の彼氏との別れ話騒動で過去の失恋、というか恋愛も連鎖的に思い出していたから。

 

 

大学時代、3年付き合っていた人がいた。

初めての彼氏だったし、友達以上にもそれ以下にも思っていなかったけど、付き合ってくれと言われて流されるまま結局大学時代いっぱい付き合った。

正直言って、本格的に好きになったのは付き合って1年くらいしてからだったと思う。

20歳前後の男子に1年以上も我慢させたのはちょっと悪かったかなって。

 

まあでも、性格はあんまり合わなかったが本当にいいヤツだったと思う。私は男運はめっちゃいいのだ。

結果的には、とても楽しかったしいい経験だった。具体的には避けるが、私の恋愛観がだいぶ変わった。

 

当時の彼氏の家が、智恵光院通にあった。京都に住んだことがなければどこ?って感じだと思うけど、まあ観光で行くような場所ではない。

私の下宿先は諸事情により男性を入れることができなかったので、同じく一人暮らしだった元彼の家によく行っていた。

 

そういえば、智恵光院通りの近くの今出川通りを少し入った町家を改装したパンケーキ屋がお気に入りで、授業が午前で終わる日など、たまに一人で食べに行っていた。

カフェ ラインベック (Cafe Rhinebeck) - 今出川/カフェ [食べログ]

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ここのパンケーキは、甘いものが好きならマジで絶対必ず食べたほうが良い。

 

 そもそも北海道生まれだから、普通の家とかでも物珍しくて、町家カフェが好きだった。定番だけど西陣さらさとかも好き(昔の銭湯のリノベーション。蛇口とか昔懐かしのタイル張りとかある)。

 就職で京都を離れる前日の夜、荷物も全て詰め込んでガスも電気も止めた後、いつも元彼の家に行く前に通っていて気になっていたが(当時の私としては)高くて入れなかったカフェに行った。

メインの鳥のもも肉の焼いたのも、デザートのブリュレも、ものすごく美味しかったのを覚えている。

すごくお洒落なのにこう近寄り難い感じのお洒落でもなく、雰囲気がとても良かった。

cafe marble 智恵光院店 (カフェ マーブル) - 今出川/カフェ [食べログ]

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大学当時、私も元彼も二人とも地方から出てきて一人暮らしだったので、いつもお金がなくてあまり遊びには行けなかった。

もっぱら、行くのはそのへん。

夜に北野天満宮で待ち合わせして、参道の裏でジュースを飲みながらたまに3時間くらい語り合っていたのを思い出す。

北野天満宮は、参道から門前までは24時間入れるし、明かりもぼんやりついている)

卒業後付き合い続けるのは無理だとお互い感じていて、別れ話をしたのも北野天満宮だった。

鳥居の前でちょっと話して別れた覚えがある。

そういえば正月に北野天満宮で巫女のバイトなんかもした。塾の先生か教師だろうと思われる大学生くらいの若い男性が、お守りを大量に買っていった。

 

鴨川ホルモー立命館大学のチームは北野天満宮でなんだか年代わりだかの儀式を行うんだったっけ。

鴨川ホルモー (角川文庫)

鴨川ホルモー (角川文庫)

 

 

二条には、当時の彼氏が映画が好きだったのでよく二人で自転車を漕いでレイトショーを観に行った。

CAFE COLORADO (飲食,喫茶店,カフェ,コーヒーチェーン,コーヒーショップ)【BiVi二条】

 映画館が入っている建物の一階のカフェのコーヒーがとてもおいしいので、気に入っている。在学中に二条にコメダができたから、物珍しくてそこもよく行った。

 

考えてみれば、京都は私の大学時代そのものであって、あまり今行って思い出を壊さない方がいいんじゃないか、みたいな気も少ししていたりする。

恋愛でうまくいかないから「幸せにしてくれる人と付き合う」っていうのは違うんじゃないのか

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最近、彼氏と別れたショック(厳密にはまだだが、ほぼ確定)であんまりブログって気分になれずにいる。書くのも読むのもダルい。

まあ、気が向いたらぼちぼちと思う。

 

 

突然ですが、私はクズです。

友達はごく少なく家はぐちゃぐちゃ、コミュ力も社会生活合格ラインに及ばず、快楽に弱く、仕事もできず、金は無いのに怠け者でやらなきゃいけないことよりやりたいことを優先してしまう等々。友達もごくわずか。

当然外面は可能な限り「標準」に合わせて頑張って生きているのだが、まあクズな方が自分の本質なのはもう仕方がない。

 

そんな私が生きていく上での至上命題としているのが、「いかに自分と同じクズな奴と固まらないように社会生活を送っていくか」です。

個人的には似た臭いのそういう人たちは肩肘を張らなくて済むし、好き。

しかしながら、クズとクズが集まるとクズの二乗になってしまい、楽な方に逃げて堕ちるところまで堕ちる可能性があることを私は経験から知っています。

 

だから、同じ匂いの人と繋がり過ぎないことを命題として生きているわけだから、たまたま読んだこのAMのコラムが目に留まったのです。

am-our.com

要約すると、「人とは自分に似たにおいの人間に集まってしまう傾向があり、その近しさがプラスの部分であれば良いが、マイナスの部分で似通っているとマイナス同士が合わさって不幸になるかもしれない。だから、恋愛においてありのままの自分を好きになってくれる人を受け身に待つより、自分を幸せにしてくれる素養を持った人を自分から選びに行こう」ってなことだと思います。

何もせずとも、勝手に近寄ってきてくれるのは、自分と近しい感性や、共通点、嗜好を持った人間だけなのです。

 

本当にこれがそうで、普通に生きてて寄って来たり関係が続いてしまうのって、雰囲気の似た人か真逆な人。利害関係を抜きにすると本当にこうだと思います。

だから、私も絶対恋愛は良い関係が築けそうなのはどんな人間なのか考え、アプローチをかけ、攻めの姿勢で相手を探している。

 

ただ、経験則からいうと、恋愛がうまくいっていない人を対象としたコラムとしては、結論部分が違うと思いました。

いい関係を持てるパートナーが欲しければ、ありのままの自分に近づいてきてくれる人を、「ありがたい」と受け入れるのではなく、自分から選んでいったほうがいいのだと思います。

「わたしを幸せにする素質を持っている人」を探し、選んで、自分を好きになってもらったほうが、幸せになれる可能性は高いのではないでしょうか。

 いえ、私が考えていることと一緒だとは思うのです。一部分としてはこれは本当に考えないといけないことだと思う。

ただし、これは付き合ってからある程度経つまでの話。

 

 

ところで、代理ミュンヒハウゼン症候群という精神疾患があります。

簡単に書くと、主に母親が「病気の子供の看護を献身的にするお母さん」というアイデンティティを獲得・維持するために、わざと子どもを病気にして、「懸命または健気な子育てを演じて他人に見せることによって周囲の同情をひき、自己満足することも挙げられる」といったようなもの。

代理ミュンヒハウゼン症候群 - Wikipedia

子どもが複数人いた場合、一人目が死んだら次を病気にして、その次も・・・というようなことがあるとか。

これは多分親の視点から見れば、「私は子どもがどんどん病気になってしまうけれど、献身的に介護する親なんだ」ですが、客観的に見れば病気の子供を彼女は作り上げているわけです。生まれつきの病気でないのなら。

 

虐待されて育った子供は、一度実親から離されて施設に移ったり、他の夫婦に引き取られたりしても、再び虐待を受けることが多くあるといいます。

それは、「虐待を誘発するような行動を自ら取るようになってしまっているから」が一つにはあるといいます。

最初は普通だった保護者も、彼の言動により彼を虐待するようになることもあるとか。

 

DVなんかもおそらく同じことが言えます。付き合う男付き合う男DV野郎、みたいな女性は、

・そもそも潜在的にDVの素質がある男性を無意識に選んでいる

・DVの素養がない男性にも暴力を振るわせるような言動を無意識に繰り返している

みたいなこともあるわけで。

 

この3例で言えることは、「自分が(暴力などの)不幸に値する人間である」という思考から現実を作り上げてしまっていること。もしくは、そのような扱いを受けることが習慣づいてしまっているということ。

相手が問題ではないのです。

 

結論

こんな極端な例でなくとも、自分の不幸を呼ぶ性質を変えずに「幸せにしてくれる人」とやらを探してどんな人と付き合ったところで、長く付き合ううちに「いつものパターン」に陥ったり、同じ原因で別れたり、それに合わせた行動を相手に取らせるような言動をしてしまう可能性が高いのではないか、ということ。

つまり、変えないといけないのは相手ではなく、自分の思考と行動です。

 

本文の例では、「合法ドラッグをやっていた頃は合法ドラッグをやっている人ばかり集まってきていた」女の子が出てきますが、この話でいけば「合法ドラッグをやっていない相手と付き合う」のではなく、「合法ドラッグをやめる」というのが手っ取り早いのではないか、という話です。

代理ミュンヒハウゼンの話なら、「元気な子どもをつくろう」ではなく「親の精神状態をなんとかしよう」です。

プラスの要素を持った人を探して引き上げてもらうのも一つの手としてアリだとは思うけれど、自分のマイナス要素が大きすぎる場合は、それをまずなんとかしないと。

うまくいかない自分を変えないと、結局無意識に同じ結果を引き寄せてしまう可能性が高いから。

私も、クズな自分と人間関係をどう折り合いをつけようか、試行錯誤中です。

 

以上。

 

(どんな風に変えるかは、考えどころですね。無理して背伸びした状態で出会った人と付き合っても早々にバレて別れる羽目になるか、自分がしんどくなって別れる羽目になるかの可能性が高いし。

まあ、それはまた、別の話・・・。)

 

 

 

※私がこの記事の中で書いている「クズ」というのは、一般社会における大多数の価値観において、求められる要素を求められる基準で持てない人、くらいの意味です。個人的な価値観としてはクズとは思わない。

※DVや虐待において、「誰が悪い」等には論旨が違うので触れていません。論旨に必要な部分だけ取りだしているので、これが全てではありません。

母親たるものはすべからく自分の息子を「自分なら付き合いたい男性」に育ててくれないか

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私の母親は、自分の息子(つまり私の弟)を溺愛し、過保護に過干渉に育て上げ、現在では立派なマザコン予備軍に育て上げた。

私はその過程を見てきたわけだが、はっきり言ってヤバすぎである。

そんな背景があって、自分の意見が偏見で異常に偏っているのは承知なので、不愉快になりそうな人は読まない方がいいと思う。

 

ちなみに、父親が娘に対する対応も同様と言いたいが、現状日本では父親が家にいる時間が圧倒的に少ない上に、女の子と父親の関係と男の子と母親の関係は微妙に違うため、母と息子に限定する。

この記事で想定しているのは、いわゆる「マザコン」と呼ばれる層で、恋愛関係または結婚等の関係を持っている人間なので、それ以外の人はあまり含まない。

 

 

 

で、本当にやめてくれ。自分が同世代の他人だとして付き合いたくないような人間を生産するな。

本気でマザコンの男性が好きで、自分の息子をマザコンに仕立て上げたっていうならまだわかるけども。

 

世の中では一見「普通の」お母さんの元から続々と信じられないような男性が生産されている。

家事が一つもできない。女性を見下す。女が家のことをするのを当然だと思っている。自分の母親を崇拝し、妻を貶す。家で一言もしゃべらない。親離れできない。母親の意見を全てにおいて優先する。家の中では自分以外の人間が世話を焼いてくれて機嫌をとってもらって当たり前だと思っている。

 

まあいろいろあるし全部当てはまるヤバい奴は少数派だと思うのだけども。

息子は母親にとって疑似恋人のようなものだ、という説があって、自分の母親を見ているとまあそんなこともあるのかな?などと思う。

子どもを産むつもりはないが、私も多分子どもを産んだら娘より息子の方が絶対可愛がれると思う。

 

それは結構。だから、やるなら徹底的にやってくれ。

 

あなたは家事が一つもできない男と結婚したいのか。

作った食べ物にいちいち文句を言う男と結婚したいのか。

家ではメシ・フロ・ネルしか言わない男と結婚したいのか。

コミュニケーションもまともにとれない男と結婚したいのか。

自分を見下し、蔑む男と付き合いたいのか。

自分で何一つ動かない男と結婚したいのか。

自分で何一つ判断できない男と付き合いたいのか。

自分より常に母親を優先する男と付き合いたいのか。

 

 

こんなところにしておこう。

これらの問題には日本の文化とか父親の役割放棄とか、母親だけに全ての責任を負わせる構造とか、両親が対等に子育てできない社会の仕組みとか要因がいろいろあるのはわかってる。

子ども本人の気質も重大な要素だ。ものすごいクセというか個性があったり障害があったり、そういうものはもう持って生まれたものだから親にどうにかできるものではないかもしれないし、そういう場合はもう自分に適した相手と適した人生を歩むのが幸せかもしれない。

 

とりあえずそういう感じでもない場合は、私は「子どもを一人前に育てる」って、私は「自分なら付き合いたいと思えるような人間に育てる」ってことだと思ってる。

何が言いたいかっていうと、息子可愛さに何も考えずに甘やかすのはやめてくれってこと。何も考えずにってとこがミソ。

 

その割をくうのは、将来彼と関係する人間だから。

天才的な日本史パロディ番組「戦国鍋TV」で絶対見るべき曲3選

戦国鍋TV大好きなんですよ、私。大学で日本史をやってたっていうのもあるので元ネタがある程度分かっているというのもあります。

 

戦国鍋TVとはなんぞというと、現代風に武将が日本史を解説する「統べらない話」とか、日本史の主に戦国時代の有名人をテニミュとかに出てるようなミュージカル俳優なんかを使ってアイドルにしてクソみたいに面白いパロディ曲を歌わせてみたりする、とにかくアホだな、でもすごく作り込まれてる。みたいな深夜番組です。

 

私はアイドルグループパロディの「ミュージック・トゥナイト」が一番好きです。

その中で笑いすぎてヤバいお気に入り動画3つを貼っときますので、暇つぶしにでもどうぞ。

全員イケメンです。

 

1、信長と蘭丸「敦盛2011」

www.youtube.com

最も有名なのがこれ。ほのかなBL要素。

「俺の心の桶狭間」がクる。

 

2、天草四郎と島原de乱れ隊「シマバラン伝説」(元ネタは少年隊)

www.youtube.com曲部分は4:40くらいから。最初の天草四郎伝説もかなりいい感じにパロディされてる。

多分ワカチコ!のところでジェロニモ!(天草四郎の洗礼名)って言ってる。

3、AKR四十七「討ちたいんだ」(AKR=赤穂浪士

www.youtube.com討ちたいのはもちろん、吉良上野介

「want you」みたいなノリで「殿中」ってくるからヤバい。

戦国鍋TV ミュージック・トゥナイト なんとなく歴史が学べるCD 再出陣!編(DVD付)

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