読書系フリーターのある日

どうでもいいことを吐き出してく雑記サブブログ。女性アイドルが好き。

ブスは甘え論に対する違和感について

 

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ブスは必ずしも甘えではない。

甘えてるからブスなわけではない。それなりの理由があってのブスだ。

 

キレイになるためのもろもろのコストは人によって大幅に異なる。

ダイエットひとつとってみても、痩せやすい体質の人は太りやすい体質の人に比べてはるかに楽だ。骨太だとそもそも体重が落としにくいし、ほっそりして見えない。

食べるのが好きな人は食にそこまで興味のない人より痩せるのがしんどいかもしれない。

 

キレイになるためのコストが低い人が綺麗になれたからといって、コストの高い人が四苦八苦しているのを見て「甘え」などど言い放つのは笑止千万である。

(でも、コストが高い人が「キレイ」を達成したあかつきには四苦八苦している人をまた努力不足と嘲笑する無限ループが起こりやすい)

「ブスは甘え」論者の主張

 ・メイクや服やスキンケアでどうにでもなるのに、それをしないのは甘え

・ダイエットすればキレイになれるのに食べ続けるのは甘え

・私が努力してキレイになったから、ブスな奴は努力していない

「ブスは甘え」と言い放つ人の傾向

 もう90%はこれ。

金と時間と労力を使ってブス(もしくは普通)と言われているところからある程度キレイになって(もしくはそれをやろうとしててできない)、なおかつまだコンプレックスが抜けきっていない奴。

残り10%は金と時間と労力を使って美を維持している美人。

ブスは甘えとかそんなもので片づけられるものではない

 私がブスだった頃の話をしよう。

 

高校生くらいのとき、醜貌恐怖症であった。

自分の顔が吐き気をもよおすほど不細工だと思っていたので、他人に顔を見せてはいけないと思い、絶対他人と顔を合わせようとしなかった。

 まともな顔に生まれていたら、と毎日毎時間思う生活はなかなかきつい。

 

私がブスなのにキレイになる努力をしなかった理由

・壊滅的に不細工だと思いこんでいたので、化粧やどうやで改善されると全く思えなかった

・単純に家が厳しく、お金がなかった

・お洒落な服は、可愛い娘だけが着ることを許されているものだと思いこんでいた

・おぞましいほどのブスなのに化粧なんかしてたら嘲笑の的になると思って動けなかった

脱ブスの経緯

醜貌恐怖症とは対人恐怖症の一種であり、対人恐怖症で強迫的なものを併発している場合は、自分の中の不安や恐怖をその対象に移し替えることで自我の崩壊を防ごうとするとことから始まる(おそらく)。

 

つまり、私は自分が劣っていて価値がなく、まともに他人とコミュニケーションをとれない、生きている価値がない人間だ、というところを「見た目」に移し替えていた。

つまり、「私は途方もなく不細工だからみんなから嫌われるのだ」と。

対人恐怖症は、現実認知の歪みを特徴とする。

 

とどのつまり、対人恐怖症を必死で脱した後に気づいたのだが、私は実はブスではなかった。きわめて平均的な顔立ちだった。

それに気づいたときから、化粧や服や髪型で自分を小ぎれいに見せようとする前向きなモチベーションが生まれた。普通なんだから、多少つくればマシになるってことに対して。

(現在は偏差値53の見た目を自負している)

 

でも、「ブスな自分」のイメージは根強く残っており、たまに鏡を見ても自分を一瞬認識できないときがあったりする。現実として今はブスじゃない今をまだ認知しきれていない感がある。

 

 

そんな感じで、甘えの一言で片づけられないほどブスは根が深かったりするのだ。

あとブスでいけない理由も別にないし、自分の見た目をどのようにしようと個人の勝手なので、そもそも小ぎれいにすることに興味がない人もいる。

そういった人に対して「甘え」というのはちょっと意味がわからない。単にモチベーションor興味がないだけなのに。