読書系フリーターのある日

どうでもいいことを吐き出してく雑記サブブログ。女性アイドルが好き。

恋愛でうまくいかないから「幸せにしてくれる人と付き合う」っていうのは違うんじゃないのか

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最近、彼氏と別れたショック(厳密にはまだだが、ほぼ確定)であんまりブログって気分になれずにいる。書くのも読むのもダルい。

まあ、気が向いたらぼちぼちと思う。

 

 

突然ですが、私はクズです。

友達はごく少なく家はぐちゃぐちゃ、コミュ力も社会生活合格ラインに及ばず、快楽に弱く、仕事もできず、金は無いのに怠け者でやらなきゃいけないことよりやりたいことを優先してしまう等々。友達もごくわずか。

当然外面は可能な限り「標準」に合わせて頑張って生きているのだが、まあクズな方が自分の本質なのはもう仕方がない。

 

そんな私が生きていく上での至上命題としているのが、「いかに自分と同じクズな奴と固まらないように社会生活を送っていくか」です。

個人的には似た臭いのそういう人たちは肩肘を張らなくて済むし、好き。

しかしながら、クズとクズが集まるとクズの二乗になってしまい、楽な方に逃げて堕ちるところまで堕ちる可能性があることを私は経験から知っています。

 

だから、同じ匂いの人と繋がり過ぎないことを命題として生きているわけだから、たまたま読んだこのAMのコラムが目に留まったのです。

am-our.com

要約すると、「人とは自分に似たにおいの人間に集まってしまう傾向があり、その近しさがプラスの部分であれば良いが、マイナスの部分で似通っているとマイナス同士が合わさって不幸になるかもしれない。だから、恋愛においてありのままの自分を好きになってくれる人を受け身に待つより、自分を幸せにしてくれる素養を持った人を自分から選びに行こう」ってなことだと思います。

何もせずとも、勝手に近寄ってきてくれるのは、自分と近しい感性や、共通点、嗜好を持った人間だけなのです。

 

本当にこれがそうで、普通に生きてて寄って来たり関係が続いてしまうのって、雰囲気の似た人か真逆な人。利害関係を抜きにすると本当にこうだと思います。

だから、私も絶対恋愛は良い関係が築けそうなのはどんな人間なのか考え、アプローチをかけ、攻めの姿勢で相手を探している。

 

ただ、経験則からいうと、恋愛がうまくいっていない人を対象としたコラムとしては、結論部分が違うと思いました。

いい関係を持てるパートナーが欲しければ、ありのままの自分に近づいてきてくれる人を、「ありがたい」と受け入れるのではなく、自分から選んでいったほうがいいのだと思います。

「わたしを幸せにする素質を持っている人」を探し、選んで、自分を好きになってもらったほうが、幸せになれる可能性は高いのではないでしょうか。

 いえ、私が考えていることと一緒だとは思うのです。一部分としてはこれは本当に考えないといけないことだと思う。

ただし、これは付き合ってからある程度経つまでの話。

 

 

ところで、代理ミュンヒハウゼン症候群という精神疾患があります。

簡単に書くと、主に母親が「病気の子供の看護を献身的にするお母さん」というアイデンティティを獲得・維持するために、わざと子どもを病気にして、「懸命または健気な子育てを演じて他人に見せることによって周囲の同情をひき、自己満足することも挙げられる」といったようなもの。

代理ミュンヒハウゼン症候群 - Wikipedia

子どもが複数人いた場合、一人目が死んだら次を病気にして、その次も・・・というようなことがあるとか。

これは多分親の視点から見れば、「私は子どもがどんどん病気になってしまうけれど、献身的に介護する親なんだ」ですが、客観的に見れば病気の子供を彼女は作り上げているわけです。生まれつきの病気でないのなら。

 

虐待されて育った子供は、一度実親から離されて施設に移ったり、他の夫婦に引き取られたりしても、再び虐待を受けることが多くあるといいます。

それは、「虐待を誘発するような行動を自ら取るようになってしまっているから」が一つにはあるといいます。

最初は普通だった保護者も、彼の言動により彼を虐待するようになることもあるとか。

 

DVなんかもおそらく同じことが言えます。付き合う男付き合う男DV野郎、みたいな女性は、

・そもそも潜在的にDVの素質がある男性を無意識に選んでいる

・DVの素養がない男性にも暴力を振るわせるような言動を無意識に繰り返している

みたいなこともあるわけで。

 

この3例で言えることは、「自分が(暴力などの)不幸に値する人間である」という思考から現実を作り上げてしまっていること。もしくは、そのような扱いを受けることが習慣づいてしまっているということ。

相手が問題ではないのです。

 

結論

こんな極端な例でなくとも、自分の不幸を呼ぶ性質を変えずに「幸せにしてくれる人」とやらを探してどんな人と付き合ったところで、長く付き合ううちに「いつものパターン」に陥ったり、同じ原因で別れたり、それに合わせた行動を相手に取らせるような言動をしてしまう可能性が高いのではないか、ということ。

つまり、変えないといけないのは相手ではなく、自分の思考と行動です。

 

本文の例では、「合法ドラッグをやっていた頃は合法ドラッグをやっている人ばかり集まってきていた」女の子が出てきますが、この話でいけば「合法ドラッグをやっていない相手と付き合う」のではなく、「合法ドラッグをやめる」というのが手っ取り早いのではないか、という話です。

代理ミュンヒハウゼンの話なら、「元気な子どもをつくろう」ではなく「親の精神状態をなんとかしよう」です。

プラスの要素を持った人を探して引き上げてもらうのも一つの手としてアリだとは思うけれど、自分のマイナス要素が大きすぎる場合は、それをまずなんとかしないと。

うまくいかない自分を変えないと、結局無意識に同じ結果を引き寄せてしまう可能性が高いから。

私も、クズな自分と人間関係をどう折り合いをつけようか、試行錯誤中です。

 

以上。

 

(どんな風に変えるかは、考えどころですね。無理して背伸びした状態で出会った人と付き合っても早々にバレて別れる羽目になるか、自分がしんどくなって別れる羽目になるかの可能性が高いし。

まあ、それはまた、別の話・・・。)

 

 

 

※私がこの記事の中で書いている「クズ」というのは、一般社会における大多数の価値観において、求められる要素を求められる基準で持てない人、くらいの意味です。個人的な価値観としてはクズとは思わない。

※DVや虐待において、「誰が悪い」等には論旨が違うので触れていません。論旨に必要な部分だけ取りだしているので、これが全てではありません。