読書系フリーターのある日

どうでもいいことを吐き出してく雑記サブブログ。女性アイドルが好き。

死の「誘惑」の解釈 について― ミュージカル「エリザベート」より

死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ

 太宰のみならず、死への誘惑を感じたことのない人間はほとんどいないと思う。

思春期は特に、これに憑りつかれやすいようなことを言っていたのは北杜夫だったか。

 

ドイツ語のミュージカルにハマっていた時期があった。ハマっていたというか、のめりこんでいた。ドイツ語も猛烈に勉強した。

きっかけは大学の一般教養で履修していた「舞台芸術論」とかだったと記憶している。

 

ほとんど日本語に翻訳されていないし、Youtube以外で見る方法がわからないのでひたすらに「Elisabeth エリザベートを観た。

キャストを変えて10年以上繰り返し公演されているが、ウィーンかどこかで爆発ヒットしたのをきっかけにそれだけが日本語訳されているから。(宝塚でも人気)

残念ながら、現在ではほとんど消されてしまっている。

ミュージカルの面白さとは

もちろん人それぞれの部分だと思うけれど、私は「監督・演者によって同じ内容でも全く違ったものになる」というところだと思う。

映画もそういえばそうなんだけど、編集が入らないとか臨場感とか舞台という場所とスクリーンの違いとか、それはそれでけっこう違う。

一時期2chかまとめサイトかで話題になったけれど、藤原竜也主演の「天保十二年のシェイクスピア」をぜひ観てほしい。

Uwakimono Tatsuya Fujiwara - YouTube

この曲、解釈が藤原竜也と他の演者で全然違う。

他の役者のは下ネタ寄りの曲なのであんまりダイレクトに表現しない感じのが出てくるが、藤原竜也は下ネタ方向に完全に吹っ切っている時点で圧巻である。それでいて嫌な感じがしないからすごい。

 

エリザベートも同様に、「死の誘惑」というテーマについての解釈の違いから、同じ曲・同じ筋の芝居でも全く違うものに仕上がっていて面白い。

エリザベート」について

「シシィ」の愛称で知られる、オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリーザベトの生涯を描いたミュージカルだ。

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奔放な美女、シシィが皇后として嫁ぎ、水の合わない宮廷生活、嫁姑問題、頼りにならない夫、息子・ルドルフの自殺(マイヤーリンク事件)、夫の浮気から罹った性病などなどのスキャンダルに追われた波乱万丈の生涯を描いている。

 

主人公はもちろんエリザベート。次に重要な人物として2大主役と言っていいくらい出てくるもう一つが、トート(=The death 死)だ。

物語の最後は、エリザベートが暗殺され、ついに「死」と結ばれる場面で大団円だ。

ヒロインがエリザベートなら、ヒーローはトートだろう。

要するに死の擬人化された存在であって、エリザベートと常に共にあり、人生の局面で誘惑してくる存在。

 

トート役の2大俳優は、ウーヴェ・クレーガーマテ・カマラスだろう。

死の「誘惑」の解釈の違い

ウーヴェ・クレーガー編

Die letzte tanz(=The last dance)という曲がある。

エリザベートが姑に押さえつけられていた生活に決別して自我に目覚め、反抗し始める場面である。(多分)

www.youtube.com

おそらく嫁いだあとの婚姻のシーンの後で、ほの暗い諦めや不安などから「死」と邂逅する場面だった気がする。

0:45辺りから曲が始まるが、これがウーヴェ・クレーガーのトート。無機質で中性的、無表情で冷たい感じ。まさに死の擬人化だ。

影のように常に生と隣り合わせに存在して、顔を出す存在。

余談だが、日本語にするなら自分のことを「私」と絶対言うと思う。

彼の「誘惑」の解釈は素直に、彼女が「死にたい」と心の奥底で思ったとき自分のものになれとささやいてくる存在である。

エリザベートのみならず、常に人と共にある死の、死への願望を忠実に体現していると言える。非常に死のイメージを明確に演じている。

 

マテ・カマラス編

 動画がほぼ消されてしまっていて全然ない。

Elisabeth - Die Schatten werden länger (ERSTER AKT) - YouTube

 ほんっとに画像汚いし曲も有名どころではないので、あんまり正直観ても面白くないので観なくていいが、雰囲気は伝わると思う。

 

マテ・カマラスのトートは、非常に男性的だ。

「誘惑」の解釈は異性に対する性的な誘惑のニュアンスを多く孕んでいる。

なんというか、表情も豊かで非常にウーヴェとはまた違った「身近にいる感じの」死なのだ。

なんならライバルとして皇帝とエリザベートを取り合うぐらいの感じであって、どちらかというと男性の死神が性的な誘惑で、エリザベートを自分のものにしようとしている感じだ。

そうなるとエリザベートの方も、皇帝と結婚した自分を守りながらも「死」に惹かれ、ついには死のものになり、結ばれるという風にニュアンスが変わってくる。

最後のシーンで「やっと結ばれた感」が出ていて感動的なのはマテ版である。

自分のことは「俺」と言っていそうなトートである。

 

 ちなみに宝塚版ではマテ・カマラスの方の「誘惑」を採用している。そっちの方が女性ファンに喜ばれるからだろう。

まとめ

 トート(死)は誘惑者という役割だけでなく、孤独を慰めてくれる存在、絶望を優しく包み込んでくれる存在、闇と共に傍にいてくれる友達、見捨てる存在、永遠の愛をくれる存在、などこんなに死が生き生きと描かれている作品はあまりない。

良い悪いではなく、人間はと常に共にある存在だということだろう。

 

全体的に楽曲が非常に深く、観た後は感無量という感じ。

役者で解釈が全然違う。そうすると、劇全体の役回りが変わり、全く違ったものが出来上がる。新たな試みによって更新されていくこと、それを見るのが舞台芸術の面白さの一つなんだろう。

 

(書きながら思い出したが、「誰も寝てはならぬ」で有名なオペラ・「トゥーランドット」は明か清かその辺の中国の王朝が舞台だったと思うが、舞台を近代に、登場人物を機械人間にして上演したものがあったと記憶している。評価は最悪だったそうだが、けっこう面白かった。発想が。)