読書系フリーターのある日

どうでもいいことを吐き出してく雑記サブブログ。女性アイドルが好き。

若くない命は守らなくていいの?

若い命を守ろうー

子どもや若者が何か悲惨な事件に巻き込まれたり、非業の死を遂げたとき、非道な犯罪に巻き込まれたときなんかにしつこく繰り返されてきたフレーズだ。

 

私はこの言葉に、この考え方にずっと違和感を持っている。

大人はいいの?大人の方が圧倒的に多くて、その守らなければいけない若い命に対して強い影響力を持っているのに?

20歳を過ぎたら、全部自己責任だから?

20歳を過ぎたら、「保護を必要とする子ども」は「自己責任で自立できなかったダメ人間」になるの?

 

子供には、意外と手厚い保護があるのだ。法で守ってもらえる。

学校はカウンセリングルームを置いていたり、児童相談所なんかもある。金銭的な援助も私的なものから公的なものまでいろいろある。立場が弱いことを配慮して護ってくれるものが案外あるのだ。

正しく使われているか、使う機会が広く提供されているかは別として。

何より救おうとする手がたくさん差し伸べられる機会が多い。

 

なんだか、おかしくないか。

基本的に、子供を犯罪に巻き込むのは子供より大人が多い。

子供を追い詰めるのは、子供より大人が多い。

その大人たちは、今現在不幸な人生を送ってきたり、送っていたり、不幸な大人に育てられて性格に支障をきたしたり、とにかく何かしらの生きることへのしんどさを抱えていることが多い。

ケアがまず必要なのは、そっちじゃないの。

 

いろんなものにがんじがらめになってしまった人たち。

自分で自分を救えないから、他人を代理にしんどさをぶつけてしまう人たち。

 

そういえば、大学時代教職を取っていたときに、意味のわからないことを言っている教員がけっこういた。

その論旨は、「学校が家庭で困難を抱えている子供の居場所になってやらなければ」「学校が子供を救うこともできる」っていうの。

一理あるけど、何を言ってるんだ。たとえ子供だけ学校でまともにしてそのまんまの家に送り返したら一緒じゃないか。

そのわずかな成功例はあるんだろうけど、自分が生まれてからずっと一緒にいる親と教師とどっちの方がその子供に対して影響力が強いと思うのだろう。

問題というか、向き合ってやって手厚く保護すべきはその両親だ。両親がその困難から解放されなければ、子どもに対する当たりはそのまんま。

子供じゃない、大人だ。

その、自分の子供がねじまがるくらいに追い詰める脅迫的な思考に捕われた人たち。

 

「子どもには無限の可能性がある」って考え方も嫌い。ポジティブに捉えられすぎているから。

確かに総理大臣になる可能性もあれば一流のスポーツ選手になるかもしれないし、優れた医者になるかもしれなければ、自分の人生を次に繋げるような、優れた人間になるかもしれない。他人を幸福にするような人間に。

 

そして、殺人鬼になるかもしれないし、薬物中毒になるかもしれないし、テロリストになるかもしれない。

 無限の可能性ってそういうことだ。

 

つまるところ、この国は子供が優遇されすぎで、大人が蔑ろにされすぎていると思うのだ。

 大人を優遇することが、結果として子どもを救うことになるという観点が抜けているというような。

 

(私は毒親に育てられているから、救われなさっていうのを過剰視しているのかもしれないけれど)